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津地方裁判所 昭和58年(ワ)202号 判決

原告

荒巻智恵子

原告

荒巻繁輝

原告

荒巻祥子

右三名法定代理人親権者母兼原告

荒巻あや子

原告

荒巻繁

原告

荒巻昌子

右原告ら訴訟代理人弁護士

口野昌三

被告

三重県

右代表者知事

田川亮三

右訴訟代理人弁護士

河内尚明

右指定代理人

橋本昭彦

外二名

主文

1  被告は、原告荒巻あや子に対して金一二二六万〇五七九円、原告荒巻智恵子、同荒巻繁輝及び同荒巻祥子に対してそれぞれ金八五〇万七〇五二円、原告荒巻繁及び同荒巻昌子に対してそれぞれ金五〇万円と、右各金員に対する昭和五五年八月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は、原告荒巻あや子に対し金三八七五万三八八二円、同荒巻智恵子、同荒巻繁輝及び同荒巻祥子に対し各金一四二五万一二九四円、同荒巻繁及び同荒巻昌子に対し各金二〇〇万円と、右各金員に対する昭和五五年八月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告荒巻あや子(以下、原告あや子という。他の原告も同様に略記する。)は亡荒巻生輔(以下、亡生輔という)の妻、原告荒巻智恵子、同荒巻繁輝及び同荒巻祥子はいずれも亡生輔の子、原告荒巻繁及び同荒巻昌子は亡生輔の両親である。

(二) 被告は三重県立塩浜総合病院(以下、被告病院という)を開設しており、医師長谷川肇、同副島邦彦及び同磯野誠司はいずれも亡生輔死亡当時被告病院に勤務していた。

2  診療の概要と亡生輔の死亡

亡生輔は昭和五五年八月四日午前四時四〇分頃、被告病院の救急外来患者として長谷川医師の診療を受け、更に同日午前九時三〇分過ぎ頃被告病院の一般外来患者として副島医師の診察を受けて入院することになつたが、同日午前一一時三〇分頃入院病棟において窒息状態に陥り、磯野医師らによつて救急措置を受けたが、同月一一日午後八時五三分に死亡した。右経過で明らかなように、亡生輔と被告との間には診療契約が締結されていた。〈以下、事実省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(一)の事実(亡生輔と原告らとの関係)は、〈証拠〉によつてこれを認めることができる。同1(二)の事実(被告の塩浜病院開設等)及び同2の事実(診療の概要と亡生輔の死亡)は、当事者間に争いがない。

二亡生輔の症状と被告病院の診療経過

当事者間に争いのない請求原因2の事実、〈証拠〉を総合すれば、以下の事実が認められ〈る〉。

1  陸上自衛隊に勤務していた亡生輔は、昭和五五年七月末頃から風邪気で体調が良くなかつたが、同年八月一日付で東部方面ヘリコプター隊(東京都立川市所在)より陸上自衛隊航空学校教育支援飛行隊(三重県度会郡小俣町明野所在)に転勤命令を受け同月七日までに新任地へ着任するように指示されたため、同月一日妊娠中の妻及び子二人を伴い自動車を運転して前任地の立川市の官舎から同日夜三重県四日市市七ツ屋町所在の義兄西原俊仁方に到着し、引越荷物が新任地の官舎に到着する同月五日まで同人方に滞在する予定で、翌八月二日は休養をとり八月三日は買物に出掛けたが、かなり無理をして行動していた。

2  亡生輔は、八月四日午前二時頃より咽喉の痛みが激しくなり、呼吸が苦しく、呼吸のたびにヒューヒューという異常音を発し、苦痛のために仰臥できない状態になつていたところ、午前四時頃にこれを発見した姉が就寝中の夫西原俊仁を起こし、同人が亡生輔を自動車で被告病院へ連れて行つた。

3  同日午前四時四〇分頃、亡生輔は被告病院の救急外来患者として当直医長谷川医師(当時外科勤務)の診察を受けたが、会話困難の状態であつたので主に付き添つていた義兄西原が頭痛・咽頭痛・咳・高熱悪寒戦慄・嚥下困難の症状を説明した。長谷川医師は診察の結果(なお、咽頭部はひととおり診たものの、喉頭部は全く診ていない)、体温三九度、扁桃腫脹・咽頭発赤・心音正常を認め、筋肉注射により二五パーセントのメチロン一アンプル(解熱鎮痛剤)とリンコシン一・二グラム(抗生物質)を投与するとともに、ポンタール三錠(鎮痛解熱剤)、PL(総合感冒剤)及びイソジンガーグル一本(うがい薬)を投薬した。義兄西原は亡生輔が錠剤を飲み込める状態ではない旨訴えたが、同医師らはこれに対して特に説明せず、右処置で症状が改善されなければ当日定刻から始まる一般外来診療で再度受診するよう指示した。亡生輔は義兄西原に連れられ西原方へ戻つたが、症状は全く改善されず、悪寒が著しく、苦痛のため仰臥さえできずにロッキングチェアに腰掛けて電気毛布に体を包んだりしながら被告病院の一般外来の診察が開始される午前九時頃になるのをやむなく待つた。

4  病状が益々悪化してきていた亡生輔は午前九時頃再び義兄西原に連れられて被告病院へ行き、順番を待つてようやく午前一〇時頃内科の一般外来患者として副島医師の診察を受けた。亡生輔は喉が痛く、ヒューヒューという異様な呼吸音を発して呼吸困難で、声がほとんど出ないため、付添いの義兄西原が亡生輔に代つてその症状や当日の早朝に救急外来患者として来院した経過等を説明し、亡生輔本人は看護婦から鉛筆と紙を借り「息が苦しいから何とかして下さい。ぜひとも入院させて下さい」と紙に書いて同医師に渡した。同医師は診療録で当日早朝当直医が診察した結果及び投薬の内容を認知したうえ、のどが痛いというので外側から視診及び触診をした後舌圧子で口腔中の診察を試みたものの、口腔奥が非常に腫脹していて口が開けにくく、かつ亡生輔が咳込むためこれを中止して咽喉部はそれ以上診察せず、高熱であつたことから肺炎の発症を疑い胸部レントゲン写真の撮影を指示した。当時既に歩行困難になつていた亡生輔は車椅子で看護婦及び義兄西原とともにレントゲン室へ移動したが、レントゲン室前付近において亡生輔は突然呼吸停止状態に陥り、異様に体をばたつかせて苦しがつたので、驚いた義兄西原は看護婦に急いで医師に連絡するよう依頼するとともに、窮余の一策として亡生輔の背中を数回強くたたき続けていたところ、しばらくしてやつと息が通るようになつた。看護婦は副島医師にこの状態を報告したが、同医師は右報告を受けても特別な反応を示さず、改めて亡生輔を診察することもなく、静かに呼吸するようにと看護婦に伝言したのみで特に加療等の指示をしなかつた。亡生輔はレントゲン撮影終了後内科の診察室へ戻つたところ、副島医師は肺に軽度のギーメン(湿性ラ音)があるが胸部レントゲン写真には異常がないので、亡生輔は感冒による咽頭炎であり入院を必要とする程でもないと考えたが(看護婦が報告してきた呼吸困難は痰がのどにひつかかつて生じたものと軽く考えた)、亡生輔らが強く入院を希望したこともあり、結局亡生輔の入院加療を決定した。

5  亡生輔は午前一〇時三〇分頃外来病棟から二階の入院病棟へ車椅子で移動し、その後八病床ある病室に入り、午前一一時過ぎ頃から副島医師の指示によつてポタコール(輸液)、ネオフィリン、カルボキシン(ビタミン剤)、アロテック(気管支拡張剤)及びビソルボン(去痰剤)の点滴投与を受けていたところ、午前一一時三〇分頃突然呼吸が停止し、体をばたつかせた後意識不明に陥り、チアノーゼが現われ始めたので、付添つていた原告あや子が驚いて病室を飛び出し看護婦に右急変を知らせた。看護婦数名がまず駆け付けて心マッサージを施しているうちに、近くに居合わせた磯野医師が看護婦から亡生輔の急変を聞いて駆け付け、まず気管内挿管によつて気道確保をするための救急セットを用意させて気管内挿管を試みたが挿管することが出来ないので断念し、次に気管切開術によつて気道確保を図ることにして、看護婦に三階の中央材料室へ気管切開用セットを取りに行かせ、これが届くまでの間その頃までに駆けつけてきた副島医師とともにメジカット針三本を経皮的に気管へ刺穿し、セットが届くと磯野医師(内科医ではあるが比較的気管切開術を多く経験している)が中心となつて気管切開術を施行して午前一一時五〇分頃には人工呼吸器に接続し(その当時心停止に近い状態であつた)、心マッサージを続行しながら種々の薬剤を投与して蘇生に努力したところ、亡生輔の心臓は午後零時三〇分頃には回復して洞調律の状態となつたが、意識は回復せず、いわゆる植物人間の状態のままとなり、同月一一日午後八時五三分死亡した。

三亡生輔の死亡と被告病院医師の過失

前記認定事実、〈証拠〉を総合すると、次の事実が認められる。

1  亡生輔は膿瘍が喉頭蓋基部から声帯に及び広範囲に生じた急性化膿性喉頭蓋炎によつて気道が閉塞した結果呼吸停止・窒息し、医師によつて気管切開が行なわれ気道が確保されるまでに脳死状態に陥り、いわゆる植物人間となつた後死亡した(呼吸停止が五分ないし一〇分続くと脳死になるというのが医学界の定説である)。

2  急性化膿性喉頭蓋炎は、喉頭蓋が高度に腫脹し、喉頭腔が狭窄あるいは閉塞して呼吸障害を起こす炎症性疾患であり、進行が早く死に至ることもあるが、早期にそれと診断し適切な治療を施せば治癒可能の疾病である。症状としては咽頭痛・嚥下困難・喘鳴(ヒューヒューという呼吸音)・悪寒戦慄などが見られる。診断は、喉頭鏡等で喉頭部を観察したり咽喉部のレントゲン写真を撮影したりして行なう。比較的稀にしか見られない症例であり、喉頭蜂巣織炎などと呼ばれることもあり、文献の中には小児に多く発症するとの報告もある。呼吸困難に対して気道を確保する方法としては、気管内挿管と気道切開術とがあるところ、いずれも一長一短あり、論者によつて気管内挿管(迅速性の点で優れているが、腫脹が肥大して気道が閉塞した場合には挿管できない可能性が高い)によるべきとする者と気管切開術を施行すべきであるとする者があるが、適切な気道確保さえ行われればほぼ確実に治癒する。

また、のどが痛いと訴える患者で急激な窒息を起こす可能性のある疾病としては、右急性化膿性喉頭蓋炎のほかに、咽喉頭ジフテリア・喉頭癌(腫瘍)・喉頭結核・咽喉部に異物が詰つた場合・扁桃周囲膿瘍・反回神経麻痺等が通常一般に考えられる。

3 そこで、亡生輔の死亡に関し被告病院医師の過失注意義務違背の有無について考えるに、亡生輔を午前一〇時頃一般外来患者として診察した被告病院副島医師は、亡生輔の症状が極めて短期間に増悪し、前項3記載のとおり亡生輔が当日午前四時四〇分頃救急外来患者として被告病院に来院し長谷川医師の診察・投薬を受けたにもかかわらず(通常人は耐えられないような苦痛でもない限り、深夜救急外来患者として診療を受けることはないと考えられるから、亡生輔の当時の苦痛は甚大であつたと考えるべきである)亡生輔の症状は回復の兆を見せずかえつて悪化し、ヒューヒューという異様な呼吸音を発して辛うじて呼吸し、ほとんど声も出ず、歩行困難、咽喉痛、嚥下困難、高熱悪寒の症状があり、一見して咽喉部の炎症と重い呼吸困難があつて重篤であると認められる状況にあつたばかりでなく、診察の一環としてレントゲン撮影に赴く途中に突然の呼吸停止を来たした事実の緊急報告を現実に受けたのであるから、当然亡生輔の咽喉部を注意深く観察して当時既に広範囲の著大な腫瘍を形成していた急性化膿性喉頭蓋炎の存在を診察すべき注意義務、仮にその正確な病名までは確定しえないにしても、広範囲の著大な腫瘍により喉頭部に著しい狭窄が生じておりそれが原因で呼吸困難が生じている事実を診察すべき注意義務、そして右診察に基づきその症状(腫瘍)が悪化し気管を閉塞した場合に当然予想される呼吸停止・窒息に備えていつでも気道確保の手段をとりうるよう予じめ準備し、注意深くその症状の観察を継続すべき注意義務(症状・体型等諸事情を考慮し、予じめ、気管内挿管をするか気管切開をするかも判断しておくべきである)があつたにもかかわらず(のみならず、亡生輔の喉頭蓋の腫瘍はレントゲン室前にて窒息状態に至る程に肥大していたのであるから、入院措置を決する段階において、右症状を確知することにより、直ちに気道確保の措置を講ずべき注意義務があつたとも考えられる)、喉頭部は全く診察せず、咽頭部もほとんど診察しなかつた基本的過失により、急性化膿性喉頭蓋炎による膿瘍が喉頭蓋基部から広範囲に生じそれが呼吸困難の原因になつている事実を見落し、亡生輔の疾病を感冒による単純な咽頭炎ないし扁桃腺炎と誤診し、その結果気道確保に関する配慮を全くしなかつた(気管切開術もしくは気管内挿管の準備もしなかつたし、緊急時に気管切開術を容易かつ迅速に行いうる病室に亡生輔を入室させることも、酸素投与をすることも実施されていない)過失を招来し、結局右一連の過失に基因する気道確保の手遅れにより亡生輔を死亡するに至らしめたもの(右被告病院医師の注意義務違背がなく、早期に気道確保がなされておれば亡生輔は死亡しなかつた)と認められる。

したがつて、被告は民法七一五条に基づく不法行為責任及び亡生輔との間に締結された診療契約上の債務不履行責任として亡生輔の死亡により原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある(なお、地方公共団体が開設する病院において行なわれる医療行為は、単なる私的経済作用にすぎず、公権力の行使とはいえないので、被告は亡生輔の死亡に関し国家賠償法一条の責任を負うものではない。したがつて、原告の同法条に基づく主張は採用できない)。

4  なお、被告は、急性化膿性喉頭蓋炎が成人に発症し、本件の如く急激な窒息に至ることは昭和五五年当時一般的な知見ではなかつたので、被告病院医師が急性化膿性喉頭蓋炎による亡生輔の急激な窒息死を予測しなかつたとしても同医師の注意義務違背ということはできない旨主張するが、同医師が当然診察すべき咽喉頭部の診察を尽していれば、病名を正確に判断できなかつたとしても、喉頭部に広範囲に生じていた顕著な腫瘍を観察することができ、この腫瘍が呼吸困難の原因であり、これが増悪した場合これによつて気管閉塞を起す可能性があることを容易に予測できたと考えられるから、右予測に従つて被告病院医師は基本的な技法である気管切開術もしくは気管内挿管により気道確保をするよう予じめ準備すべきであつたのである。同医師は炎症部位と明らかに認められる咽喉頭部を注意深く診察すべき基本的注意義務に違背したため、右腫瘍の存在を知見できなかつたものであるから、右被告主張は採用できない(咽喉頭部の疾病で急激な窒息死に至るものは急性化膿性喉頭蓋炎だけではないことに照しても、被告主張は失当である)。

また、被告は、耳鼻咽喉科医ではなく内科医である副島医師に喉頭部の検査を要求することは不当である旨主張するが、亡生輔が咽喉痛及び嚥下困難を訴えている以上咽喉部を診察するのは医師として当然の責務であり、副島医師は内科医で呼吸器を専門としており気管支鏡(ファイバースコープ)の使用に慣れていた(証人副島の証言)から気管支鏡を用いれば容易に喉頭部の状況を把握しえたはずである。仮に同医師が自ら診察できないときは、亡生輔の重篤な症状に照らせば速やかに耳鼻咽喉科医の診察を受けさせる処置をとるべきであつたのであり、右主張も採用することはできない。なお、当時被告病院には常勤の耳鼻咽喉科医がいなかつたが、医療法によれば、総合病院と称する被告病院においては内科とともに耳鼻咽喉科を設置しなければならず(同法四条一項)、各科に少なくとも三人の医師を置かなければならない(同法二一条一項一号、同法施行規則一九条一項一号)のであるから、右常勤医不在をもつて被告の責任を否定する根拠にすることもできない。

四被告の賠償すべき損害金額

1  逸失利益

〈証拠〉によれば、亡生輔は死亡当時陸上自衛隊に勤務する一等陸尉(ヘリコプター操縦士)で年間所得額が五八六万三一一〇円であつたことが認められ、亡生輔の年齢(死亡当時満三五歳)、稼働状況に照らすと本件医療過誤により死亡しなければ満六七歳まで稼働可能であるが、自衛隊の定年制を考慮すると、亡生輔の死亡した満三五歳から満五五歳までの二〇年間につき毎年五八六万三一一〇円を、その後満六七歳までの一二年間につき毎年三四〇万八八〇〇円(昭和五五年度賃金センサスによる男子労働者の平均年間給与額)を得られるものと考えるのが相当である。亡生輔の生活費として三分の一を控除したうえ、ライプニッツ式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して亡生輔の死亡時における逸失利益の現価を算定すると、次の計算式のとおり五六三〇万二八九七円となる〈計算式・省略〉。

しかし、亡生輔の如く急性化膿性喉頭蓋炎によつて急激な窒息死に至る事例は稀であること、亡生輔が転勤のため体調不十分の状態で無理をしたこと及び亡生輔の体質的素因が右発症及び急激な窒息死に寄与していることなどを考慮すると、民法七二二条所定の過失相殺の法理を類推適用して、右逸失利益のうち四〇パーセントを減じた残額を被告の賠償すべき損害金額と認定するのが相当である。

したがつて、被告は亡生輔の右逸失利益の六〇パーセントに相当する三三七八万一七三八円につき賠償すべき責任を負うところ、前記認定のとおり原告あや子が亡生輔の妻、原告智恵子、同繁輝及び同祥子が亡生輔の子であつて、右原告らが亡生輔の死亡により右金員につき昭和五五年法律第五五号による改正前の民法所定の法定相続分(妻は三分の一、子供は各九分の二)に従つて相続取得し、その額は原告あや子が一一二六万〇五七九円、原告智恵子、同繁輝及び同祥子が各七五〇万七〇五二円となる。

2  慰藉料

本件において認められる諸般の事情を考慮すると、原告あや子、同智恵子、同繁輝及び同祥子の慰藉料は各一〇〇万円、原告繁及び同昌子の慰藉料は各五〇万円が相当である。

五結論

以上によれば、原告らの被告に対する本訴請求は、被告に対し、原告あや子において一二二六万〇五七九円、原告智恵子、同繁輝及び同祥子においてそれぞれ八五〇万七〇五二円、原告繁及び昌子においてそれぞれ五〇万円及び右各金員に対する昭和五五年八月一一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行宣言の申立については、相当でないから、これを却下する。

(裁判長裁判官庵前重和 裁判官下澤悦夫 裁判官鬼頭清貴)

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